堀江、村上ときて最近は福井に話題が集中している。
福井とは皆さんがご承知のとおり我が国の中央銀行である日本銀行の福井総裁のことである。
問題とされたのは村上ファンドへの1千万円の拠出(投資)である。
簡単に書いてしまえば日銀総裁就任前に投資をし、総裁就任後も解約することなく巨額の利益を享受していたことに日銀総裁としての資質を問われたものである。
詳細は新聞やテレビなどのマスコミ報道でご存知と思うのでここでは記さない。
ここで記すのは堀江、村上、福井ら3氏の行動(言動)原理である。
これらの人達は自らの経済行動が批判の矢面に曝されると異口同音の言葉を吐いた。
『 法 律 に は 触 れ て は い な い 』とである。
福井総裁は『日銀の内規にも抵触していない』とも言った。
堀江、村上両氏の時に『法律に触れなければ何をしても良いと言うものではない』『倫理観の欠如である』『拝金主義』と社会から囂々たる非難が噴出したのはそう昔のことではない。
堀江、村上両氏の場合は彼らが何と言い繕おうが『金さえ儲かれば何でも構わない』といった正しく拝金主義である。
福井総裁は批判に対して当初は『村上ファンドへの投資で儲ける意図は無かった』とし『利益も大した額ではない』と明言していた。
しかし、現実に意図したかどうかは別としても巨額の利益を得ていたのは事実である。
私が感じるのは福井氏は『村上ファンドで儲けよう』とは本当に思っていなかったかも知れないということ。
そして、日銀総裁就任後も解約をしなかったのは単に “解約” に思い至らなかったのかも知れなということである。
勿論、今回はそこの部分が非難されている重要な問題点ではあるのだが ・ ・ ・ ・ ・ 。
私が注目したのは問題発覚後に福井総裁が表明した『法律には触れていないし日銀の内規にも抵触していない』の言動である。
この言動は前述のように “堕ちた寵児” の堀江、村上両氏の言動と一にするものである。
堀江、村上の2氏が言うのなら良し悪しは兎も角として理解は出来るのである。(上辺は飾っていたにしても彼らなりの論理と行動は一致していたのだから)
しかし今回は日銀トップの総裁の言動である。
重さが違う。
ましてや年齢も社会経験も立場も知識も教養も遥かに優れている筈の人が ・ ・ ・ 。
人間というものは法律で生きるものではないが法律によって縛られるものではある。
だからこそ『法律に触れなければ良い』という感覚も生まれてくるのだろうがそれでは余りにも未熟であり、ご都合主義である。
人間が人間である所以は法律以前の 生き方 にあるのではないだろうか。
それが倫理観であり、生きる智恵である。
福井氏の間違いは村上ファンドを解約しなかった、巨額の利益を得たなどという過去の経過よりも 『法律には触れてはいない』 と言ってしまった時点での日銀総裁としての倫理観の欠如、智恵の無さでありそれが 生き方 (行き方) に齟齬を来してしまったように思えてならない。
以下のフレーズは何回か前の『 The Pen 』の中でも使っているのだがもう一度使いたいと思う。

『 恥 を 知 れ ! 』