このコラムを書いている3月28日現在、民主党の永田議員は衆議院議員の職を辞していない。
所謂“堀江メール”が“インチキメール”と確定した直後には永田氏本人の口から議員辞職する旨の発言があったが『永田議員が辞めれば責任は前原代表に及びかねない』という民主党執行部の内部事情で入院し、辞職発言を翻してしまった。
この時点で民主党執行部は永田氏に『議員辞職はしなくても良い・してもらっては困る』の言質を与えてしまった。
その後、永田氏は『懲罰委員会の決定に真摯に従う』との慇懃無礼な発言に転換し現在に至っている。
懲罰委員会の姿勢は小泉首相の意向もあり一番厳しい“除名処分”にはせず登院停止処分になる見込みのようである。
ここに永田氏と与党の奇妙な利害の一致が発生した。
永田氏からすれば懲罰委員会の決定に従えば議員辞職はしなくて済む。
一方、与党からすれば永田氏がいつまでも議員辞職をしないでいてくれれば最大野党民主党のアキレス腱をズーと握っていられる。
これは衆参の国会運営や国政・地方の選挙において大いに有利と与党は踏んでいる。
確かに国会の委員会質問でも民主党の質問には迫力が無く何となく及び腰の感が拭えない。
重要法案も必要な議論が尽くされることなく与党ペースで淡々とと言うより易々と通過してしまった。
ここに至り“永田議員のガセメール問題”を超えて国会、国政のチェック機能が危うい状況になりつつある。
野党が与党に対して健全な批判が出来ないようでは野党としての意義はなく、国会そのものの意義も低下する。
最近は政財官の責任を持つべき立場の人達が責任を曖昧にすることが少なくない。
本来なら責任を取って潔く舞台から降りるべきなのに『現在の困難な事態を収拾し道筋を付けるのが私の責任』などと公言し居座る人達が跋扈している。 
自ら『困難な事態』を引き起こしている“当事者”に限って強弁をする。
昔の人達が全て良かったとは思わないが現代の“責任ある人”の身の処し方は相当な無責任に堕しているように思えてならない。
我が身は誰でも可愛いし、我が身を可愛がれないようでは人を愛することもおぼつかない。
しかし、事ここに至っては与党は残念かも知らぬが永田氏は潔く身を処するべきである。
『懲罰委員会の決定に従う・決定が出てから考える』ではあまりにも遅いのである。
本当に日本を思い、国民を思い、己を思うのであれば答えは自ずと出ている筈である。
後は自らの答えに粛々と従うのが良心のある者の判断、行動であり品性である。
そして捲土重来を期し、己を磨き、態度、行動をもって有権者に再びの信を問うのが筋というものである。
『恥の文化』と言われる日本にあって最近の日本は何と恥知らずの多いことか。
『恥を知る』とは己を知り、他者を知り、世の中を知り、良心を持って行動できることではないだろうか。
永田氏そして永田氏を利用しているあざとい与党に言いたい。

『恥 を 知 れ !』