今朝(3/17)の朝刊に「週刊文春」の出版禁止命令が東京地裁から出されたとの記事が載っていた。 田中真紀子元外相の長女の記事に関してのものである。

  どんな内容の記事かは分からぬが、新聞広告から類推するに長女の離婚問題に関してらしい。これが真紀子氏自身に関しての記事なら衆議院議員と言う公職にある公人なのだからプライバシーは一般の市井の民と比べて或る程度の制約を受けるのは仕方がない部分も多々あると考え得る。
  しかし、真紀子氏の長女は確かに公人の娘には違いなかろうが公人そのものではない。ましてや離婚問題などはプライバシーの中でも最も個人的な部類に属する。それを週刊誌が興味趣味、覗き趣味で記事を創り上げるのは如何なものであろうか。
  識者の意見も二分されているようだが『公人の家族は公人に準ずる』と言うような論理を振りかざす方たちは『犯罪者の家族は犯罪者に準ずる』という馬鹿げた論理になるのだろうか。
  今回、出版禁止命令という話題からこの稿を書いたが実際のところ私は週刊誌を殆ど読まない。唯一、読むのは理容室の待合い時間の時だけである。何故か?現在の週刊誌は余りにも興味本位、覗き本位で刊行されているようにしか思えないからである。
  新聞の週刊誌の広告のどぎつい表現にも辟易する。その広告だけでもその週刊誌の品性の無さ、知性の無さが透けて見えてくる。(私自身の品性、知性を今以上に落としたくないのが本当のところですが)

  何事にも言論の自由を言う今日だが週刊誌を含めマスメディアが自覚と自戒を持たないといつの間にか気が付いたら自縄自縛に陥っているということにもなりかねない。
  もっと恐いのは公権力の介入である。下らない覗き趣味、興味本位に惰して居る内に時の権力の思うがままにされ『いつか来た道』の繰り返しが恐い。