露枝の雑文館 ThePen

館長露枝(Roshi)による日々徒然の雑辺です。

戦いすんで数合わせ

  第42回衆議院選挙が終了し、街はやっと静かになった。 結果はご承知のとおり連立与党は揃って議席を減らした。 野党は民主党が躍進、自由、社民2党が議席を増やし共産党が減らした。 ここまでは単なる選挙戦の結果である。 この結果を見て森首相は「与党にとって厳しい結果だが連立3党を合わせれば絶対安定多数を確保した。だから連立政権は国民の信任を得たことになる」という論旨の発言をしている。 この論は自民党幹部や連立党の代表者なども同じである。 森首相は『神の国』『国体』『寝てて居てくれれば』等の失言の人とは心得ていたが強弁の人でもあったのだ。 そして自分の発言の矛盾にも全く頓着しない人でもあった。 『3党合わせれば絶対安定多数』ということは『自民1党ではダメだから3党連立でやりましょう』ということである。 これを世間では、数合わせと言う。 かねてから森首相は「3党連立は絶対に数合わせではなく、政策を一にするか考えの近い政党が共同して政権を組んで国政に当たっている」旨の発言をしてきた。 しかし、今回の選挙結果から導き出されたのは紛う事無き数合わせである。 連立与党が数を恃んで、どうにかこうにか絶対安定多数を構築しただけのことで、それ以外に何が有るのだろう。公明党、保守党の支持者諸氏の思いはどんなものなのだろうか。 何だかんだ言っても特別国会が召集されれば森自民党総裁が首班指名を受け総理大臣となり、連立した党に一つ二つの大臣ポストを与え森政権樹立の運びだろう。 国民の一人としては公約の実行を見守り、しっかり監視するしかない。 民主党を始めとする野党各党も、躍進だ、議席増だと浮かれるのは早々に切り上げて、政権奪取がならないまでも、なぜ連立政権を引きずり下ろすまでの議席獲得が出来なかったかを考えて欲しいものだ。 与野党が拮抗してこそ緊張感の有る国会となり、失言や妄言、強弁が通用しなくなる筈なのだから。

十年一日 馬鹿の一つ覚え

  選挙戦も終盤に入り増々の激戦模様である。しかし、その激戦の中身は政策論争ではなく専ら選挙カーからのお願い連呼である。 昭和に入りそして平成になり、その間幾たびか選挙制度の改変が行われた。その善し悪しはここでは触れないが、制度が変わっても全く変わらないのが前述の選挙カーからの連呼であろう。与党から野党まで全くの同一パターンである。立候補者の名前を喚き只々「よろしく」だけである。赤ん坊がやっと眠ったところであろうが、病人が臥せっていようが、夜勤明けのサラリーマンが休んでいようがお構いなしの傍若無人である。余りの喧しさに窓から覗けば「窓からのご声援ありがとうございます」とくる。私は支持した憶えは無いのだが。その立候補者が一様に言うのが福祉である。だが、他人様の安眠や休息という最低限の福祉に喧噪を撒き散らし踏みにじっておいて、何処まで彼ら彼女らに期待が出来るのか怪しいものである。何はともあれ、あと少しの辛抱である。しかし、選挙運動に有権者が辛抱を強いられる国とは一体どんな国なのだろう。いやはや・・・・・

失言と誤解

  新潮社現代国語辞典によれば失言とは「いい損なったり、いうべきでないことをいったりすること」とある。誤解とは「意味や実体をあやまって理解すること」である。
 
  そこで例の森首相の失言問題である。 マスコミ等で大きく取り上げられたのは「神の国」と「国体」発言である。首相と言えども一個人としてならどんな思想や信条、信仰を持とうが自由である。しかし、首相として公人としての立場では種々の制約があるのは自明の理。そして、一国の首相の発言には殆ど私人の部分は無いのである。たとえ本人が「個人として」発言しても一旦口から出てしまえば、それは首相の発言なのだ。そしてそれは時と場所を選ばない。一人でも聞いている者が居れば、それは首相の発言として伝播されるかも知れないと考えるべきなのだ。

  今回の失言が最悪なのは『聞いた人の誤解』として責任を転嫁したことにある。しかし、これらの発言の論旨から見て誤解のしようが無いほど明快に自身の心情と信条を吐露しているのではないかと思わされる。それでも誤解と言い通す。(この御仁の縁はどこにあるのだろう)『嘘も百編言えば嘘でなくなる』と言うが、誤解でないものは幾ら言い張っても「誤解が解ける」はずもない。そして、その失言が機で衆議院解散とは情けないこと甚だしい。小渕さんの逝去で同情票を目論んでいた与党の諸氏も「神の国」でご破算になってしまったことだろう。
 
  公人、一般人、どんな人でも「口は災いの元」を肝に銘じ、誠実を以て言葉を交わそうではありませんか。政治屋に誠実を求めるのは無理、無駄の声も聞こえるが・・・・・
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